« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »

こちらも長い、コンタクト遍歴

私は「仕方なくメガネ党」です。近視はひどく、検査表のあのCの字が一番上までも見えません。昔はだんだん近づいていって測ってもらっていました。今ではあんな原始的な計り方はしませんよね。機械を使って浮かび出てきたのを読んでます。(あと、機械をのぞいて気球の絵を見せられるだけのってありますよね。なんで気球なんだろ。)

中学に入ってすぐにメガネになりました。両親揃って近視ですし、今では家族全員メガネです。母は、近年緑内障と白内障の手術をしたので、将来は私も・・かもしれません。中学までは何も思っていませんでしたが、さすがに高校生になると色気づき(?)コンタクトを試すようになりました。コンタクト人種が普通にいるようになった時代です。高校から大学にかけてソフト→ソフィーナ(今はあるのか知りませんが、ソフトとハードの中間という売りでした。)→ハードとすがっていきましたが、どうにもなりませんでした・・。

とにかく、入れたとたん・頭痛・奥歯を食いしばる・気持ち悪くなる・・目の中の異物を常に忘れることができず、快適とは程遠いつけ心地でした。こうして、私の目に合うものは世界中どこを探してもありゃしないんだ!とあきらめた時に出会ったのが「一日使い捨てコンタクト」です。

社会人になり、デザイン性の高いメガネも出てくるようになったし、「メガネは私の一部です~」状態になっていたので、コンタクトはまあいいかと思っていたのですが、やはり舞台の上でメガネはちとキツイ。それに、結婚式のお仕事も始めだしたので、人前に立つときにやっぱりメガネはすっきりしないなと思い、再度眼科に足を運んだのでした。そして出会った「使い捨て」。

まずは薄いということ。ほとんど破れそうな薄さで、つけてみるとまぶたにあたる感覚もない。それに、普段はメガネですから、毎日使い捨てるわけではないし、たまに使う時はいつも新鮮。何しろ、コンタクトをつけた瞬間にくる、こめかみにズキッとした痛みがこなかったのです。とはいえ、当時の使い捨ての初めに出てきたのものは外国人サイズだったらしく、眼球の大きさに合わせてカーブがゆるめでした。典型的日本人サイズの小さな目をした私には、次に登場したカーブが深めの日本人サイズがぴったり。今までの苦労からしたら万々歳のコンタクトに出会えたのでした。

もっとも、もともとドライの気のある私の目は、この目に優しいコンタクトさえもしばしば乾燥に悩まされ、やはり毎日はつけられる状態ではありません。将来近視の手術が日常的にならない限り、やはり「仕方なくメガネ党」として続くでしょう。

先週、久しぶりにコンタクト屋をおとずれ(週末くらいしか使わないので一箱で半年以上はもってしまう)、新しい使い捨てコンタクトを薦められました。私が初めて買った時から時はもう10年くらい経ち、使い捨てコンタクトも進化していたんでした。そこで、薦められたのは違うメーカーの新商品だったのですが、かなり評判のいいものだったにもかかわらず、購入後テストをつけてみて、私にとっては今までのものとつけ心地が違うことが判明。いくら進化していて売れているものでも、素材が変わると敏感に感覚が違うんですね。指に乗せてみると今までのものより形状がしっかりしている気が。破れるほどの薄い素材のものに慣れた目には、ちょっと重かったのかなあ。私の目が繊細なのか、自分が神経質過ぎるのかよく分かりませんが、結局払い戻して元のメーカーの(少しランクアップした)使い捨てコンタクトに逆戻りしたのでした^^:

| | コメント (0) | トラックバック (0)

洗濯機とのお付き合い方法

梅雨のような雨模様の日が続いています。GWが終わった頃からなので、春が早く終わってしまったみたいで何だか悔しい。陽がない分気温も上がらず、未だにババシャツとおさらばできません・・^^。

去年、特に壊れたわけではなかったのですが、洗濯機を買い替えました。ドラム式の洗濯乾燥機。これが家に来たその日から一度も、洗濯物を屋外に干したことがありません。ということは、ベランダにも半年くらい出てないなあ^^:いや~世の中便利になりましたよね。実はお風呂場は乾燥機能がついていて、雨の日はお風呂場に干し、それなりに便利な思いをしてはいました。考えてみれば、大学時代、女の子の一人暮らしですから、それなりに冷蔵庫や洗濯機や掃除機など電化製品を揃えて持っていましたが、それでも2槽式の洗濯機をベランダにおいて使っていたんですよね。冬はつべたかった~。就職してまず安い全自動洗濯機を買いました。この洗濯機は途中使わない時期があったこともあり、結婚後去年まで家で働いてくれていたのです。そして去年、家でのお役目を終え、実家のワンコの専用洗濯機に格下げ^^:っと思っていたら、今年に入り実家の全自動洗濯機がいきなり壊れ、今は実家の人間用洗濯機にまたまた格上げ?になったのでした。というわけで、なかなか長生きの洗濯機に恵まれてはいたものの、いまや実家よりも先に乾燥機付きを使っています。

本当いうと、今私が住んでいるマンションは比較的乾燥しているし、お風呂にも乾燥機が常備されていて平気なのですが、実家のような一軒家は洗濯物が乾きづらい。陽があたれば風通りもいいのでカラカラと乾きますが、じめじめの季節は何日間も家の中に服がぶら下がっています。実家のような家にこそ乾燥機って欲しいアイテムじゃないでしょうか。

我が家のお風呂の乾燥機も大量の洗濯物を隅々まで乾かすのは大変。というわけで、特に乾燥機は大助かりです。我が家流の洗濯方法は、まずたまったものはすべて放り込んで、「スピーディ」モード(普通の洗濯ではこれしか使ったことないです。脱水までが約32分。)で脱水まで終わらせます。ピーっと終わったら、いったんすべてをカゴにあけ、上着(カッターシャツやブラウスなどいわゆる洋服)とズボン類とハンカチを残し、他をすべて戻します。下着やパジャマ、靴下、タオル、シーツなどは、乾燥機で乾かします。量が多かったり、終わってから取り出すまでに時間がかかると乾燥機で仕上げたものはシワシワになってしまいますが、気を付ければふわふわに仕上がります。乾燥機にかけないもの、つまりしわになったり、伸びたり縮んだりしたくないものは、家の中の日当たりのいい部屋に干します。ハンカチは意外と乾燥機には向きません。

おしゃれ着洗いも今はお家!でというCMも増えてきました。私はセーターなどもわりとまめに洗いたくなっちゃう方なので、このおしゃれ着洗いも気軽に出来るのは嬉しいですね。モードは「ドライ」を使い(といっても濡らして洗うんだけど)洗剤はおしゃれ着用の液体洗剤にします。そして、用心のため乾燥機はかけずに室内干しへ。この乾燥機つき洗濯機を買った当初、柔軟剤に目覚め、フランス製のソフナーを気に入って買いました。ダニを防止する役目もしてくれるそうなので、シーツやおしゃれ着にはこのソフナーを、お高いので普段は国産のソ○ランなどを使っています。

洗濯環境が良くなり、夜中でも洗濯して乾燥までできちゃうため、暇さえあれば洗うものを見つけて洗濯機を動かしています。電気代が・・。あと、落とし穴が。洗濯乾燥という機能があり、これは止まらずに洗濯から乾燥仕上がりまでいくのですが、これって最後まで上手くいったことがない^^:途中で何かとエラーが起きます。洗濯物が偏ってるとかで。ある時、旅行の前の日で旅行に持っていきたいものを夜中に洗濯機に入れ、「朝までには乾燥してくれるんだから、明日持っていける♪」と思っていたのに、朝見てみると、すごい早い段階で(洗いの途中。始まって数分のところで。)エラーで止まっていて、寝場所と離れているためにブザーも聞こえず、びちょびちょのままだった時はツラかったです・・。とにかく、こつは「スピーディ」洗いで32分はガマンして近くにいること(寝ないこと)。その後、分別して乾燥させれば上手くいきます。いろいろ機能が付いているけど、我が家流はこの1つかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

合唱遍歴~古楽に出会う~

大学を飛び出し入団した合唱団には、実にいろんな人たちがいました。学生と先生の世界だけにいた私には新鮮で、とても緊張を覚える場所でした。この方たちとどのように付き合っていけばいいのだろう?公務員、教員、出版会社の方、外資系の方、よくわかりませんが様々な大人の方、しかも趣味を古楽合唱にしているユニークな方々の集まりでした。声楽を専門に学んでいた私は、多少重宝がられたのかもしれませんが、今までの私の知識では追いつかない世界がそこにありました。

まず、驚いたのは、音は音符で終わらないということ。音楽をフレーズで捉えることを、何と初めて音大の外で学んだんです!オタマジャクシだけに注目して歌ってきた私にはすごい新鮮な音楽!メッサディヴォーチェというものも初めて知りました。このうねるようなフレーズ感は合唱の中で歌っていてもとても気持ちがよくて、帰りの電車の中で当時一緒に通っていた友達と、サヴァールのCDを方耳づつで聴きながら大声で真似していたら、怖いおばちゃんに「あんたたちっ、ウルサイよ!!」と怒られたこともありました^^:

もっと早く入団していればよかったのですが、1年と半分くらいで卒業を迎えてしまいました。地元に帰ることが決まっていた私は大学のサークルだけでなく、この合唱団にも通えなくなることが残念でなりませんでした。私に続いてその合唱団に入っていた東京在住の仲間たちがうらやましかったな。

その後、その合唱団のカリスマ指導者のもと5人の声楽アンサンブルに入れていただき、2年くらい活動しました。浜松から通うのは大変だったですが、歌える人たちの中で歌うことが何より楽しかったし、そこで出会ったモンテヴェルディのマドリガーレの世界は後々まで私の中で燻り続けたのでした。

残念ながら、そのアンサンブルも自然消滅してしまい、東京の古楽仲間との縁も今ではなくなってしまっています。大学卒業後、東京に残るという地方出身者も数多くいる中で、私はなぜか東京に住み続けることは当時1かけらも考えませんでした。当然のように郷里に戻り職に就きました。今思えば、あの時東京に残る選択をしていたら・・また違った人生になっていたでしょう。

でも、社会人になって帰ってきた私は、仕事の傍ら合唱だけは続けようという思いで、まずは2つの団に入団しました。ルネサンス専門のアカペラ合唱団とバッハ専門の合唱団です。・・つづく

| | コメント (2) | トラックバック (1)

合唱遍歴~大学編~

某私立音楽大学の声楽科に進学した私は、「大学に入っても合唱を!」という想いからすぐにある合唱団にアプローチしました。それはなぜか大学内の合唱団ではなく、某工業大学の混声合唱団です。理由はというとただひとつ。その団はコンクールの全国大会の常連だったから^^:高校時代にコンクールの味を覚えた私は、その刺激のない合唱団には全然入る気を起こさなかったんですねえ。今考えれば「毒されとるな~。」っていう感じ。

ただ、私の住む東京郊外からは練習場所が遠かった。3本電車を乗り継いで通っていました。多分にもれず、大学のサークルですから週に2~3回は練習なり集まりがあり、特に平日の練習は通うのに疲れました。その大学のキャンパスの近くにたまたま伯母が住んでいたので、お泊りセット持参で練習に通っていました。今から考えれば、他の大学の人たちとつきあうことや200人もの大所帯の中で切磋琢磨する経験もやってよかったなと思います。念願の全国大会にも出場できましたし。特にびっくりしたのは、合唱団の総会。理数系の頭を持つ人たちの会合って。。。@@当たり前だけど感情論は全然なし。その後自分の大学のサークルに入って話し合い(ってもんではないけど)と比べたら!以来あんな会には遭遇していないな。

1年半頑張って通いましたが退部。理由は色々ありましたが、2年生になってサークルの中でも立場が忙しくなるのになかなか通えなくなったのが大きかったかな。それと自分の大学の中で色々な企画(ミュージカルとか)に参加するうちにそれが楽しくなったということもあります。企画ものの中で学年や学科を超えて色んな人たちと付き合ううちに、自分の大学内の合唱サークルに誘われ、そして入部することになりました。そのサークルに結局卒業まで骨を埋めることになりました。

そこで出会ったのが少人数ということとアカペラというスタイル。学校の中には声楽科しか入部できない合唱団というのもあったのですが、私の入った合唱団はむしろ歌科よりも他の科の人たちの多い団でした。それだけに変に癖のない発声を使ってルネサンスものやアカペラ曲を多く歌っていたのでした。年に一回の定期演奏会の他には学内の発表会や慰問演奏などが主な活動でしたが、合宿や学祭の模擬店などイベントも楽しみました。もともと音楽をやっている人たちなので練習も効率的だし話も合うし、少人数混声合唱の楽しさをここで知った意味は大きいです。その指導に当たっていた先生(教授)が今年の3月で退官されたそうで、サークルとしては一時代が終わったところなのではないでしょうか。

4年生になる頃、それまで副科で履修していたリコーダーでの繋がりや、ある先生の音楽史の授業などで影響を受けた関係で、「古楽」というものに興味を持ち始めた私は、学外のいわゆる一般合唱団に顔を出すようになりました。一般合唱団といっても指揮にあたっている人が古楽器のスペシャリストで、ルネサンスから初期バロックのレパートリーを演奏する団体でした。そこでモンテヴェルディのヴェスプロ(聖母マリアの夕べの祈り)に出会い、「こんなに美しい音楽があるんだ~。」と超感動。その指導者の下、古楽の世界に足を踏み入れたのでした・・・。

| | コメント (4) | トラックバック (2)

« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »