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発掘調査

年末です。大そうじ&大片付けの季節です。が、普段の心がけのおかげか(ウソ)、いたって平常と変わらぬ我が家です。思い切って捨てるものも無いわけではないのですが、一体いつどこに捨てれば?と考えるだけで、もうやる気は失せました。あまりにも大量のゴミって捨てる場所がないし、パワー要りますよねえ。やはり、普段からちょっとづつ捨てる生活をしてないといけなさそうです。

さて、そんな我が家はほっといて、今日実家に行きましたらば母親に「ダンボールの中身を整理しろ。」と言われました。どうやら先週末に、庭の物置の大そうじを敢行したらしく、私と妹の荷物の詰まったダンボールが4箱も出てきて、「嫁いだ娘たちのものをずっと置いておけるほど広くはないんだよ。この家は。」ということになったらしい。今日は一日中雨降りでしたから、軒先に出て雨の中、母と2人でダンボールチェックをしたのでした。

私のダンボールには、学校の先生時代(そんな時代もあったのね)のいろんなものが入っていました。指導案やら研修のノートやら、試験問題(中学音楽)の原稿やら生徒の作文やら、先生期間は短い間ではありましたが、それなりに多くの足跡が残されていました。しかし、生徒の書いた40人分の作文って、どうすればいいんでしょうか?人が手書きで書いたもの、しかも原稿用紙に書かれたものなどは、そう簡単に捨てることって出来ませんよねえ。取っておいても別に読み返すわけではないんですけど。もっとも、当時一人一人に返せばよかったんでしょうが、そういう類の作文ではなかったようで、しっかりとパンチで空けて綴じられていました。今、生徒たちに返したら、きっと懐かしがるでしょうね。彼らももう24歳になっているんだなあ。

そういう意味で、懐かしいを通り越して、超タイムスリップ的なものが別のダンボールから見つかりました。妹が小2の時に書いたと思われる作文の束です。本の感想文やおそらく物語の主人公に向けた手紙風の作文などに混じり、「わたしのおとうさん」という題の作文が何と3つも出てきました。「なぜ‘おかあさん’の作文が無いんだ!」と母は憤慨してましたが、私には何となく分かります・・。妹は小さい頃とってもオクテで、小2だとしてもかなり幼稚な文が並んでいたのですが、「おとうさんは、朝ごはんを少ししかたべません。でもみそしるは食べます。夕ごはんはごはんを2はい食べます。」とか、「おとうさんは、しゅっちょうの時におみやげに箱をくれました。おかあさんもりょこうのおみやげで、ちりがみとか箱とかくれました。」(何?箱って。)とか、「わたしはおねえさんとねます。おとうさんはおかあさんとねます。」(母、激しく否定^^:)など、結構そのナチュラルさにヤラれ、久しぶりに腹を抱えて2人で大笑いしてしまいました。もう1つ、爆笑したのは「もやしをつくろう」という研究(夏の自由研究かなあ?)をまとめたもの。「1日め・・だいずやとうもろこしから‘もやし’ができるときいて作ってみることにしました。水のなかにだいずを入れました。」「2日め・・だいずが少しふくらんだみたいですが、めははえません。」「3日め・・だいずはふくらんでいますが、めははえません。」「4日め・・ぜんぜんめがでないので、おとうさんとおかあさんにそうだんして、台どころの下のくらいところにおくことにしました。」「5日め・・水が白くにごって、だいずはくさってるみたいでした。じっけんはしっぱいです。」おいおい、もう終わりかい。そもそも本当に大豆からもやしって出来るのか?たったの5日で結論(しかも両親も参加しながら失敗)を出して、それで終わりでいいんかい?と、とにかく突っ込みどころ満載の遺跡発掘でした。

きっとこれは妹も揃った正月に、本格的なダンボール開きが行われるであろうと思った年末の一コマでした。

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興奮の夜

その才能の前にはただ恐れひれ伏すのみ・・と感じることって、テレビの中のこと以外では実際あまりあることではないですが、今日はまたもや感じ入ってしまいました。「上原ひろみ アジアツアー in 浜松」に行ってきました。本人も話していましたが、昨年の6月の浜松ジャズフェスでのライブ以来の来浜で、私としても2度目のライブ体験。しかも今回は単独ライブです。たっぷり約3時間のライブでした!

クリエイティブな部分が未発達の私ですから、このエネルギッシュなすべての音楽、パフォーマンスが彼女の中から作り出されるという部分だけでも、感嘆のため息をつくしかないのですが、今日は改めてその技術にも驚嘆。やっぱりそのテクニックなしでは、ここまで人を揺り動かせないと思います。何かの番組で、本人が「毎日ピアノの練習は欠かさない」と言っていたのを思い出しました。曲を作り出すには、専門的な知識や経験、何よりも創造的な力が必要ですが、やっぱりピアノの上で指を動かすのには頭の中での作業だけではないたゆまない努力というのが絶対に必要。それだけに、クリエイティブな才能にはしっかりとした技術が裏打ちされているのだなあと痛感。しかも並で無いレベルで。

さらに、上原さんのピアノは、しゃべったり歌ったりしているように聴こえる瞬間がとても多いのに気が付きました。曲にそういう特性があるのかもしれませんが、トリオで弾いている時は他の2人とまるで会話をしているよう。ソロの時にはピアノが歌っていました。本人も歌っちゃっているようでしたけど。

そこまで聴いて、この人が既存のピアノコンチェルトをオーケストラバックで弾いたらどんななんだろうと想像してしまいました。本日のアクト大ホールはそれを想像するのにおあつらえ向きだったので・・。いずれにしても、ピアノはしゃべり、本人は夢中で飛んだり、会場を一体にして巻き込む、ものすごい楽しいステージになるだろうな。ちょっと見てみたい。

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